1981(昭和54)年、制定。
作詞は、青木一三氏、作曲は、友利明長氏によってつくられ、
現在も立野っ子の思い出には欠かせない一曲として色あせずに歌われ続けています。
【校章をつくった人たち】
【作詞者】
青木 一三(あおき かずみ)氏
作曲当時の年齢は、67歳。
春日部市に生まれ育ち、東京文理大学(現筑波大)社会学研究科修了。
第一東京市立中学校(現都立九段高校)教諭、厚生省体育課体育官補、早稲田大学助教授を経て、
当時は、早稲田大学教授及び評議員。日本体育学会理事、日本社会学会評議員、埼玉県青少年問題専門委員、
埼玉テレビ学校放送運営委員、埼玉県レクリエーション協会顧問、春日部市教育委員などを歴任。
主な著書として「体育社会学考」「家族社会学総説」「社会体育と生活福祉」など多数。
【作曲者】
友利 明長(ともり あきなが)氏
作曲当時の年齢は、67歳。
昭和6年に沖縄県師範学校卒業。昭和14年東京音楽学校(現東京芸術大学)を卒業。
昭和14年より、島根県師範学校、埼玉師範学校、埼玉大学教授、同大学名誉教授を経て、
当時は、前橋育英学園短期大学教授。埼玉県音楽教育連盟参与、文部省教材等調査委員などを歴任。
【校歌をつくった人たち】
  
▲校長室に飾ってある原本と当時の記事
【考案者】
星 貢市 教諭  

【選定・補考】
昭和52年度全職員
1977(昭和52)年4月19日、制定。
「立野」の二文字をデザインしたもので、内側に「立」の 字で鳥をかたどっています。
それは、大空に逞しくはばたく、つまり伸びゆく子供の姿を表しています。
外側には、「野」をひらがなの「の」として輪の形で表しています。
「和」、つまり、立野小の児童、保護者、教職員の和を表し、みんなで手を取り合い、共に益々発展しようという意味を表しています。